カレン・カーペンターの死と38年後の痩せ姫たちをめぐる「恐ろしいこと」
ちなみに、彼女の治療にもあたった心理療法士、スティーブン・レベンクロンは甲状腺治療薬の大量服用が命取りになったのではと指摘している。甲状腺が正常であるにもかかわらず、とにかく痩せたかった彼女は代謝を促進させるためにこの薬に依存していたのである。
「彼らは自分の身にいろいろと恐ろしいことをするものだが、これはまったく例がありません」(カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語)
と、驚いたレベンクロンは服用をやめさせたが、すでに手遅れだったのではと言う。この薬と下剤の「相互作用」が「不整脈」を起こさせ、心不全による最期がもたらされたというのが彼の見方だ。
なお、カレンの死はタイミングも象徴的だった。米国では、1978年にレベンクロンが書いた小説「鏡の中の少女」がベストセラーになり、彼女が亡くなる前年の82年には歌手のチェリー・ブーンによる「チェリーは食べるのが怖い」が出版されていて、拒食や過食嘔吐への関心が高まっていたからだ。カレンの訃報はこの「死に至る病」についての認知度を一気に上げた。
一方、日本でも関心は高まっており、折りしも「週刊明星」が2週連続で「ある日少女は何も食べなくなった!」と題した特集を組んでいた。前編が出たあとで訃報が届いたことから、後編には「カレン・カーペンターの死も『拒食症』が原因、あなたは大丈夫!?」というサブタイトルがつけられることとなる。
また、本邦初の一般向け解説書「神経性食欲不振症」の製作も進行中だった。編者の医師・鈴木裕也はあとがきにおいて、カレンの死に触れ「この機会に本症に対する、より正しい理解が浸透することが強く望まれる」と記している。
ちなみに、この12年後、筆者は鈴木医師らの助力を得て「ドキュメント摂食障害」(著者名は加藤秀樹)を上梓した。それから半年後には、宮沢りえの「激痩せ」が騒がれ、ワイドショーにコメントを求められたりしたものだ。
こうしてみると、痩せ姫の歴史においては、カレン以前・以後とか、りえ以前・以後といった区分も可能だろう。有名人による影響はそれだけ大きく、世間のイメージを左右する。
もっとも、カレンのように命まで落とすことは珍しい。人生における一時的なエピソードにとどまったケースのほうが、多いようにも思われる。有名人の場合、芸能やスポーツといったものでそれなりに成果を上げていることが多いため、食や体型への依存で支障が生じた際も、切り替えが比較的しやすいのだろう。
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